下オーストリア州都ザンクト・ペルテンにおける青野原収容所展開会式について

大津留厚
(青野原オーストリア2019プロジェクト実行委員長)

2019年11月28日、下オーストリア州都ザンクト・ペルテンの州立図書館で、青野原収容所展示会の開会式が行われました。主催者の歴史博物館学芸部長のラップ氏による趣旨説明、共催者である西村加西市長と奥村神戸大学人文学研究科長のご挨拶(代読)、大津留の講演とオーストリア州首相代理のご挨拶がありました。一つ一つの区切でセレーノ・チェンバーオーケストラ弦楽四重奏団による青野原収容所の再現演奏会が行われました。ザンクト・ペルテンはオーストリアの首都ウィーンから西にほぼドナウ川沿いに70キロメートルほどのところにあります。ドナウ沿岸地方はこの季節、ドナウの川霧にすっぽり包まれて、ぼんやり白い景色が気分を重くします。でも夜になると始まったばかりのクリスマスマーケットが光の中で賑わいを見せます。11月の末はそんな時期に当たります。

今からちょうど100年ほど前、世界大戦の時に、現在の加西市青野原に捕虜収容所が置かれ、そこに220人ほどのオーストリア=ハンガリー兵が収容されていました。この青野原収容所の展示会が下オーストリア州の州都ザンクト・ペルテンで開かれることになって、一年間の準備の時期を経て、この日開会式を迎えたのです。

1914年、世界大戦が始まると、日本はイギリスとの同盟関係に基づいて、8月23日にドイツに対して宣戦を布告し、青島のドイツ軍基地を攻略して、4700人ほどの兵士を捕虜として日本に移送することになりました。そのうち300人ほどがドイツの同盟国オーストリア=ハンガリー海軍の巡洋艦皇妃エリーザベト号の乗組員でした。捕虜たちは、当初寺院などに収容されていましたが、戦争の長期化の中で、1915年になって本格的な収容施設が作られました。その一つが青野原収容所でした。

ここで収容された捕虜の数は500人ほどで規模としては小さい方でしたが、そのうち220名ほどがオーストリア=ハンガリーの兵士たちでした。その中に、オーストリア出身のカール・ラッツェンベルガーという人がいました。ラッツェンベルガーさんは捕虜になりましたが、同僚のヨハン・ドュケさんはその戦いで戦死しました。青野原で収容されていたラッツェンベルガーさんのもとにドュケさんの妹アンナさんから手紙が届きました。アンナさんは兄がどのような形で戦死したのか、どこに埋葬されたのかを知りたくて兄の戦友に便りを書いたのです。

ラッツェンベルガーさんはアンナさんの希望を叶えてあげようと思いました。二人は頻繁に手紙をやり取りするようになりました。二人は愛し合うようになっていました。ラッツェンベルガーさんは1919年に青野原収容所から解放されて帰国することになりました。故郷のオーストリアで二人は結婚することになりました。

青野原が取り持った二人の縁がきっかけになって、今度は下オーストリアの州都ザンクト・ペルテンで青野原展を開催することになりました。ラッツェンベルガーさんに見られるような人と人とのつながりを重視した展示になっています。
また捕虜達は、収容所内で度々コンサートを行なっていました。今回の展示会の開会式では日本の若い演奏家たちの協力を得て、青野原で1919年3月30日に行われた演奏会が再現されました。1919年3月30日の演奏会は「シベリアで苦境にあえぐ同胞たちのためのチャリティーコンサート」と銘打たれていました。そこにまた青野原収容所の特性が表現されていました。

青野原の捕虜たちの故国オーストリア=ハンガリーはこの戦争の緒戦でロシア軍に大敗を喫し、その兵士たちは捕虜としてロシア本土に移送されました。ロシアにはヨーロッパロシアからシベリアに至る広大な大地にあたかも群島のように捕虜収容所が設置され、200万人を超える「同胞」が収容されていました。

1919年3月、すでにヨーロッパ戦線では休戦協定が結ばれ、オーストリア=ハンガリー帝国は当事者能力を失い、ロシアでは帝政が崩壊して2年が経過していました。それにもかかわらず、シベリアの収容所には旧ロシア帝国の捕虜となった旧オーストリア=ハンガリー兵が取り残されていました。この年の5月に極東の収容所を管理する日本の陸軍大臣に宛てたシベリア残留捕虜たちの「楽しき家郷を離れ自己の職業を擲って戦争の為招集に応ぜし以来五星霜を経過し、今日未だ何れの日に於て解放せらるや前途に何等の燭光を認める能わず」で始まる訴えは、心を打つものがありました。

自分たちもまた望郷の念強いものがありながら、より苦境にあえぐシベリアの同胞への共感をこめて1919年3月30日に青野原捕虜収容所で行われた演奏会を再現するにあたり、若い演奏家たちの協力は不可欠でした。特に帰らぬ恋人を思ってソルヴェーグが歌うシーンを奏でた横山亜美のヴァイオリン演奏はソルヴェーグの悲しみが乗り移ったようで、心を打つものがありました。また演奏会の締めくくりとして、チェロ奏者田村賢一が編曲した日本の歌曲のメドレーリレーが演奏それましたが、その最後が「ふるさと」でした。これはふるさとを思う青野原の捕虜たちの想いを表現したものでしたが、下オーストリア博物館の広報担当の方が、少年の時にモーツァルト少年合唱団の一員として日本に来た時に歌った曲が「ふるさと」だったということで感激するというおまけもありました。再現演奏会が実現したのも、この展示会に向けて開いた講演会、演奏会に足を運んでくださった方々、寄付の形で励ましてくださった方々、クラウドファンディングにご支援いただいた方々など皆様のご支援があってのことと、この場を借りてお礼申し上げたいと思います。

2020年6月に東京の城西大学中欧研究所で予定されていた下オーストリア州立図書館で行われた展示会の再現展示会は、現下のコロナウィルスの感染拡大の状況の中で中止になりました。そこで11月に東京と関西で同時開催で展示会、演奏会を予定しています。何とか実現できることを祈っています。

2020年4月10日


展示会に寄せて

加西市長 西村和平

日本とオーストリアの友好150周年となる本年に、このような展示会が開催されますことお喜び申し上げるとともに、開催の一翼を担わせていただいたことに感謝申し上げます。
加西市は、捕虜たちが帰国のために出港した神戸港から、北西に約20kmに位置する内陸部の緑と自然、そして歴史文化にあふれた街です。
100年前、第一次世界大戦という世界を巻き込む大きな不幸の中で、加西とオーストリアの関係は始まりました。しかし、青野原俘虜収容所に収容された500人と加西の人たちの間には、対立や憎しみは無く、歓迎と交流を積み重ねたことが、現在残る資料からうかがうことができます。
この度の展示では、捕虜たちが青野原でどのように暮らしていたかを見ていただくと共に、加西の人たちとの友和と交流の様子を知っていただきたいと考えております。
現在、収容所の跡地は、地域住民による保存会によって守られ、建造物の一部や当時の区画が残っています。中でも、今年9月に兵庫県登録文化財になりました、将校用風呂棟は、第一次世界大戦時の俘虜収容所としては、現存する世界で唯一のものであり貴重な歴史文化遺産です。
加西市には、青野原俘虜収容所の他にも、4世紀末の地域有力者の墓である「玉丘古墳」、日本最古の石仏の一つ「古法華石仏」、捕虜たちも参拝した西国三十三所巡礼二十六番札所の「法華山一乗寺」、亡くなった人の面影が見えるという「五百羅漢石仏」、第二次世界大戦の「鶉野飛行場跡地」など、多数の歴史文化遺産があります。また捕虜たちが遠足で訪れた場所も判明しています。
ぜひ加西市に足を運び、捕虜たちの足跡をたどっていただくと共に、加西の歴史を味わっていただければ幸いです。
最後に、100年前に始まった加西市と貴国との交流が、これからの新しい交流の礎となることを切に願います。

2019年11月28日

Grußworte

Kazuhira NISHIMURA Bürgermeister der Stadt Kasai

Bürgermeister der Stadt KasaiIch freue mich sehr, dass die Stadt Kasai, zusammen mit dem Haus der
Geschichte im Museum Niederösterreich und der Universität Kobe, die
Ausstellung über das Kriegsgefangenenlager Aonogahara, welches sich
genau bis vor 100 Jahren in der Stadt Kasai befunden hat, mitgestalten
kann. Genau heute vor 150 Jahren haben zudem Österreich und Japan
diplomatische Beziehungen aufgenommen.
Die Stadt Kasai liegt ca. 20 km nordwestlich vom Hafen der Stadt Kobe,
von dem aus die österreichischen Kriegsgefangenen in die Heimat
zurückgekehrt sind. Sie ist von schöner Natur umgeben und voll von
kuturellem Erbe. Während des Ersten Weltkrieges waren ca. 500 deutsche
bzw. österreichisch-ungarische Gefangene im Lager Aonogahara interniert.
Am Anfang waren die Beziehungen zwischen den Österreichern und der
Bevölkerung der Stadt Kasai keineswegs hoffnungsvoll, jedoch nach und
nach wandelte sich dies in freundliche Beziehungen zwischen den Internierten und der einheimischenBevölkerung. In der Stadt Kasai und ihrer Umgebung gibt es auch heute noch Orte, die die Erinnerungdaran hochhalten.
Es ist erfreulich und wünschenswert, dass die Besucher dieser Ausstellung mit dem Leben derdamaligen Kriegsgefangenen und ihren vielfältigen Beziehungen zur japanischen Bevölkerung inBerührung kommen können.
Dank des lokalen Schutzvereins ist noch ein Teil des damaligen Lagers und ein Ausschnitt dessen Geländes erhalten geblieben. Unter anderem gilt das Badezimmer für Offiziere als einer der wertvollsten Reste des Ersten Weltkriegs. In diesem September wurde es als Kulturgut der Präfektur
Hyōgo registriert.Außer dem Kriegsgefangenenlager Aonogahara gibt es noch weitere Beispiele historischen Erbes in
der Stadt Kasai. Der „Tamaoka-Grabhügel“ etwa ist die Grabstätte eines regional mächtigen Landesherrn am Ausgang des 4. Jahrhunderts. Der „Furubokke-Steinbuddha“ ist einer der ältesten Steinbuddhas in ganz Japan. Der „Hokkesan Ichijō-ji“ ist der 26. Tempel des Saigoku-Pilgerweges. Die
„Gohyaku-Rakan-Steinbuddhas“ sind 500 Buddha-Statuen, die der alten Überlieferung zufolge Gesichter der verstorbenen Verwandten spiegeln. Der „Uzurano-Flugplatz“ schließlich ist ein Militärflugplatz des Zweiten Weltkrieges. Unter diesen Gedenkstätten gibt es mehrere Orte, an denen die österreichischen Kriegsgefangenen sich aufgehalten haben. Ich würde mich freuen, wenn Österreicher zu uns kommen, die Spur der Kriegsgefangenen verfolgen, und die Geschichte der Stadt Kasai aus erster Hand kennenlernen möchten.

Zum Schluss möchte ich noch sagen, dass hiermit die Beziehungen zwischen Österreich und der Stadt Kasai nach einer Zeitspanne von 100 Jahren wieder aktiviert werden.

28. November 2019


ご挨拶

神戸大学大学院人文学研究科長 奥村弘

この度は下オーストリア州歴史博物館、加西市と共催で青野原捕虜収容所展を開催できることを大変うれしく思っております。この場をお借りして、この展示会の開催にご尽力いただいた下オーストリア州立博物館機構歴史館の方々にお礼申し上げたいと思います。

とりわけ学術部長のクリスチアン・ラップ博士にお世話になりました。この展示会を構想し、またその実現のためにご尽力いただいたことに感謝申し上げます。
青野原捕虜収容所は神戸大学からほど近い加西市に第一次世界大戦の時に設置されました。

そこには大戦中に捕虜となったドイツ兵、オーストリア=ハンガリー兵が500人ほど生活していました。神戸大学ではこれまで、人文学研究科地域連携センターが中心になり、周辺自治体や地域住民の協力を得ながら、収容所の調査研究に当たって参りました。その成果は地元自治体の博物館や図書館、あるいは神戸大学での展示会を通じて公開してまいりました。また捕虜たちが演奏した曲目の復元にも努め、その成果も演奏会を通じて公開して参りました。

2008年にはオーストリアの国立文書館で「里帰り展示会」を開催して、捕虜たちの出身国の一つであるオーストリアで捕虜たちの生活を再現する取り組みも行いました。今回は下オーストリア州の州都ザンクトペルテンで青野原展を開催することになりました。それは青野原を通じて実った愛が一つの家族に結実し、そのご家族が下オーストリア州で生活されていることが契機となりました。

この展示は、戦争というものを、それを経験した一人一人の目から見直す作業の一環をなすものです。この展示を通して、このような視点から見て初めて見えてくる、国際的な人と人のつながりを感じ取っていただければ、と思います。
神戸大学が、地域社会との連携を進めるきっかけとなったのは阪神・淡路大震災でした。

震災で被災した地域の史料の保存と修復から始まった活動は、やがて大学と地域住民が協力して史料の再発見と活用を進めることによって、地域住民が歴史を深く知ることの出来る機会を作り出すことを目指すようになりました。青野原捕虜収容所の「発見」もそうした活動の成果でしたが、同時にそれは地域を越えた国際的なつながりの「発見」につながりました。
下オーストリア州の一つの家族から広がる「世界」と加西市青野原から広がる「世界」とが一つになる今回の展示会をお楽しみください。

Grußworte

Hiroshi OKUMURA
Universität Kobe Dekan der Philosophischen Fakultät

Das Zustandekommen dieser Ausstellung über das Kriegsgefangenenlager Aonogahara sowiedie Chance, diese mitzugestalten, ist für mich wie für die Universität Kobe eine ganzbesondere Freude. Unsere Partner dabei sind das Haus der Geschichte im Museum Niederösterreich und die Stadt Kasai. Für die Realisierung dieser Gelegenheit möchte ich dem Haus der Geschichte sowie der Landesbibliothek Niederösterreich meinen aufrichtigen
Dank aussprechen. Ganz besonders danken möchte ich dabei Dr. Christian Rapp, Wissenschaftlicher Leiter des Hauses der Geschichte, der die Ausstellung verwaltet und durch sein Engagement ermöglicht hat.
Während des Ersten Weltkrieges befand sich das Kriegsgefangenenlager Aonogahara im Umkreis der Stadt Kasai, ca. 20 km nordwestlich von unserer Universität, in dem ca. 500 deutsche bzw. österreichisch-ungarische Gefangene interniert waren. Die Universität Kobe,
insbesondere das Zentrum für die Zusammenarbeit mit den lokalen Gemeinden an der philosophischen Fakultät, hat schon längere Zeit zusammen mit heimischen Gemeinden Forschungen zum Lager Aonogahara durchgeführt. Wir haben auch Ergebnisse dieser Recherchen bereits in Ausstellungen präsentieren können. So hatten wir etwa im Jahr 2008 eine Aonogahara-Ausstellung unter Mitwirkung des österreichischen Staatsarchives in Wien.
Dabei konnten wir auch einen Musikabend des Lagers aus dem März 1919 musikalisch wiederaufleben lassen.
Eine Liebe, die sich durch den Briefwechsel zwischen einem Internierten und der Schwestereines Verstorbenen am Kriegsschauplatz in Tsingtau entwickelte, hat den Anlass zurdies jährigen Aonogahara-Ausstellung in St.  Pölten gegeben. Anhand solcher persönlicher
Beziehungen wünsche ich Ihnen, Weltgeschichte unmittelbar spüren zu können.
Wir dürfen auch die Tatsache nicht außer Acht lassen, dass das katastrophale Erdbeben des Jahres 1995 der Universität Kobe erst den Anlass gegeben hat, die Zusammenarbeit mit den heimischen Gemeinden zu fördern. Wir haben damals mit der Restaurierung von durch das Erdbeben beschädigtem historischen Erbe angefangen. Dann begannen wir restauriertes
historisches Erbe auch dafür zu nutzen, um die Identität der heimischen Bevölkerung zu entwickeln. Die Aonogahara-Forschung setzte auch mit diesen Arbeiten ein, und wir haben dabei auch die Erkenntnis gewonnen, dass die lokale Geschichte auch stärker als vermutet ein Teil der Weltgeschichte ist.
Ich freue mich, Sie zu dieser Ausstellung einladen zu können. Möge dieser Blick zurück in die Geschichte individueller Beziehungen und lokaler Ereignisse einen Beitrag zur Verständigung zwischen beiden Ländern wie auch zu vertiefender Erkenntnis der Weltgeschichte leisten.


青野原オーストリア2019プロジェクトに参加して

静間佳佑(指揮者 実行委員 音楽文化交流事業担当)

 この度、本プロジェクトに実行委員として参加させて頂きました。今回は展示会に合わせて行うことになった音楽の企画を担当させて頂き、日本での事前準備イベントの企画、そして現地でのコンサート、開会式の演奏の企画、そして現地コンサートでのオーケストラの指揮を行いました。

11月24日、ウィーンへ到着して最初の音楽イベントは、歴史ある音楽ホールの一つ、ウィーン楽友協会ブラームスホールで行われた日墺修好150周年記念コンサートでした。このコンサートは、ウィーン在住の実行委員であるピアニスト 木口雄人さんが出演されるということで、本プロジェクトのツアーメンバー全員でコンサートを聴きに行きました。

実力派若手日本人アーティストと、オーストリアのアーティストが3名ずつ出演されて、非常にレベルの高い素晴らしい内容でした。

11月26日は、「Thank you Austria Concert」と題し、捕虜達が演奏した作品の再演、また、オーストリアと日本をつなぐ音楽作品の数々を演奏いたしました。日本から参加した演奏家メンバーと、現地で活躍する演奏家とで構成された小編成オーケストラ、そしてゲストには世界の舞台で大活躍中のソプラノ歌手、森野美咲さんをお招きしての公演でした。こちらも、多くのお客様にご来場頂き、大変有意義なコンサートとなりました。

11/28には、ザンクトペルテン歴史博物館で行われた青野原捕虜展示会の開会式にて、弦楽四重奏とピアノによる演奏を行いました。
捕虜達の演奏した作品と、日本の伝統的な音楽を取り入れたプログラムは、現地でも非常に好評を得ることができました。

 

私自身、大好きな街ウィーンで、過去の歴史を遡り、日本とオーストリアの繋がりを感じながら、現地でのコミュニティを広げられ、またこのような意義深く貴重なプロジェクトの実施に関わることができたこと、非常にありがたく思っております。

これからも、このつながりを絶やすことがないよう、広くこのプロジェクトを知っていただくとともに、音楽を通じて、活動を続けていきたいと思っています。


青きドナウの岸辺にて

 山口正俊(実行委員)

オーストリア・クラシックホテルの朝食は面白い。そこで飛び交う言葉がまったく聞いたことがないのだ。ひとびとの風情が、われわれの観光都市ウイーンに持つイメージと違う。東欧からの客である。ルーマニア語? スロバキアそれともスロベニア? もしかしてボスニア人? オーストリアから見るヨーロッパの景色は、ヨーロッパ=EUとは異にしている。東欧が見える。クロアチアが、バルカン半島、トルコが。マケドニアや、モルドバなどが見える。もちろん、ドイツ、フランス、イタリアも近い。どうだろうか。かつてのハプスブルク帝国のように、ウイーンをヨーロッパの首都にしたら。

今回の、ウイーンの郊外下オーストリアの州都ザンクトペルテンで青野原収容所の歴史展示会。戦争、殺戮、捕囚の繰り返しの歴史に生きるオーストリアの人々が、そして捕虜兵の子孫たちは日本での収容所体験をどうみているのか、非常に興味深いものがあった。歴史館の館長が、兵士の手紙に、「日本人の医者はちゃんと挨拶しなければ看ない、と言われておどろいた。」と書いてある、その手紙には捕囚の悲惨はなく、まるで長い旅行で異文化に出会ったような感じだね、と話していた。

青野原には収容所跡がない。しかし地元の人々が、その歴史を保存し、展示し、オーストリアとの交流の中に、生き返らせる。去年の12月には収容所から青野原駅までのウォ―キングが企画され、150年前の捕囚からの解放と帰国への思いを共有した。今回青野原の地元の人々の思いは、この展示会を通して十分伝わったと思う。
日本から参加した音楽家たちが収容所に残された楽曲を再現した。兵士たちの心と共にあったオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊し、彼らの帰るところは国ではなく、家族、友人、そして青きドナウの岸辺だったのかと思うと、涙をさそう。


ハプスブルク家と音楽に魅せられて

行天幸子(実行委員)

今回もいつもの旅のように、無の心境でオーストリア・ウィーンを訪ねた。旅の終わりに私のこころの空間にどんな色、音、フィーリングを見つけ出せるのか、楽しみでもある。朝少し早くホテルの周辺を散歩して、澄んだ空気と行きかう人々の優しいまなざしを感じた。

王宮礼拝堂の日曜ミサ、美術史美術館、フォルクスオーパー(市民劇場)にてオペラ魔笛、アルベルティーニ美術館、国立オペラ座にてオペラ ドン・ジョバンニ。クラシック音楽、絵画、オペラ好きな女性の旅は、とにかく歩いて美術館のはしごとコンサート、オペラと非日常の世界に、常に大興奮の時が過ぎた。

個人的に行きたかったフロイト博物館も訪れた。学生の頃、フロイトの本に興味を持ち、青春時代を哲学と心理学にはまり、夢分析や箱庭を学んだ遠い昔が懐かしく思い出した。まるで魔法にかけられたように、甦りその夜はとても幸せな気持ちで寝付いた。

今回の旅の目的は、100年前に加西市青野原収容所にオーストリアの捕虜が5年間生活した歴史の展示会である。

当時、この収容所では、地域の人々とピクニック、ボーリング、サッカー、演劇、そしてコンサートなどの交流をしたそうだ。

その里帰りとして、下オーストリアの州都ザンクトペルテンの歴史博物館において式典、日本からの音楽家による当時の楽曲も含めてのコンサートを開催した。

博物館では、捕虜たちが当時使用していた数点と収容所の棟札も3か月間展示された。

100年前に青野原の捕虜収容所でどんな思いで捕虜たちがコンサートに臨んだかと思うと胸が熱くなるのを覚えたのは、私だけではないでしょう。


青野原オーストリアプロジェクトに参加して

春田真理子(ヴィオラ奏者)

 このたびの「青野原プロジェクト」に参加させて頂くことになり、100年前の歴史を知ることとなりました。そして2019年は日本オーストリア国交樹立150周年という記念の年でもありました。

渡欧してまず、オーストリア在住の留学生を中心とした日本人演奏家との合同演奏でした。
日本人演奏家の中には大学の同期だったピアニストや幼馴染みであるヴァイオリニストもおり、歴史を感じる建築の区役所内のホールで一緒のステージに立てたことは私にとって懐かしくもあり嬉しいひとときでした。

そして『青野原プロジェクト』のメインテーマであるザンクトペルテン歴史博物館で日本で捕虜となっていた方々の遺品展示と、展示会の開会式コンサート。100年前捕虜だった方々が青野原で地域の方へコンサートを開いていたことが今の日本の西洋音楽普及のきっかけのひとつになったことに思いをはせ、当時青野原で捕虜の方々が演奏した曲や、日本の童謡・唱歌をメドレーにした曲を演奏しました。
コンサート後の懇親会でオーストリアに長く住んでいるというご婦人に「『さくらさくら』や『朧月夜』、『ふるさと』を聴いて日本への思いで胸が熱くなりました」と涙ぐんでらしたのが印象的でした。

今まで何度かオーストリアを訪れましたがStaatsoperやMusikverein、音楽家の像など有名どころだけでなく、今回のプロジェクトによって深い歴史をも知ることができ、脈々と流れるドナウ川ような、歴史と人の大きなつながりを感じました。

ーありし頃を偲んで
多恨の詩人は、
此の流の畔を今もなお歩むー

ー青きドナウを讃えて
我等今うたう
とこしえに美しく青き
ドナウの歌をー
(作詞堀内敬三 美しく青きドナウより)


 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です